四国八十八ヶ所巡り 遍路日誌 VOL.3

遍路日誌キックパスさんの遍路日誌を忠実に綴る。ここでは第七報から第八報までのドキュメントを公開する。





第七報:
退院手続きに手間取り、病院を出たのは11時45分。最寄の駅まで歩いて5分。
そこから徳島駅までのキップを買ってホームへ行くと、一昨日たまたま十楽寺で行き会った老人遍路がいた。「やー」と声を掛け合って話し始める。
彼は私と同じ生まれ年。多少足の運びが遅いものの、5回目の遍路旅ゆえ、さすが風貌、衣装、佇まいすべてにベテラン遍路の風格がうかがえる。
私は徳島駅からバスで空港へ出て、帰路に着く。彼は駅から12番・焼山寺行きのバスに乗る。そんなことで約1時間話ができた。
めぐり合わせは本当に不思議。
退院手続きが順調なら、ここで彼に会うことはできなかっただろう。
信心深い人なら、これも大師様の御引合せと言うのだろうか。
さて、私の通し歩き遍路は脆くも2日にして挫折したものの、
彼との遭遇は私に「つなぎ遍路」として継続することを強く決意させた。


第八報:
体調を崩した私が、「いったん帰宅することにした」と彼に伝えるなり、「それが良い」と彼自身の話を聞かせてもらった。
15年ほど前の最初の歩き遍路の時、途中から左足の踵に大きなマメができて、皮がむけたがそれほど痛くないので絆創膏を貼ってそのまま歩き続けたらしい。
結願まで残す4つ目の84番・屋島寺に向かう途中、突然、足が動かなくなり近くの病院へ行くと、重度の糖尿病のため壊死していると告げられ、すぐに切断手術を受けるように宣告される。東京に戻り、左足の膝から下を切断。
“ほら見て”といって左足の義足を外してみせてくれた。
その後、糖尿病性網膜はく離で失明寸前まで悪化。視力は今も回復していない。
それでも遍路を続けているのは、弘法大師に感謝しているからだ。
彼は「金」「博打」「女」と滅茶苦茶な生活を送っていたらしく、大師様は「お前の足の一本はもらうが、生命は助けてやる。今後は真っ当に生きなさい」と言ってくれて第二の人生をくださった。
お陰で今は平凡だが、本当に安穏で幸せな日々を送っているとのことだ。
関東の札所も全て回っているらしく、案内してもらうことを約して徳島駅で別れた。

帰宅すると、Nさんから電話があった。
私がいなくなりがっかりしていながらも、「それで正解ですよ。四国は逃げませんから」と励ましてくれた。

「遍路」とは人との出会いだと思った。
たった2日間だけでこれだけの出会いがあったのだから、30日間歩いたらどんな遭遇があったのかはかり知れない。
早くも「四国病」にとりつかれたようだ(キックパス)。


遍路日誌


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